子供の頃はよく裏山や川原を歩き自然の風景を見ていることが多くありました。
今は、活字を見ている時間が増え、風景を見ている時間以上に活字を見ている時間が多くなり、活字や文字もその意味だけではなく、ある種の風景としての自分に堆積しているような気がしてきました。
そして、私は英語が苦手で、英語のことわざを読んでいたのですが、日本語で読んでいたら使い古された表現としてあまり考えもせず流してしまうような言葉が、内容を理解しようと必死に読むことによって、心に強く刺さるものが多く、長い時間を超えて残ってきた知恵の懐の広さに改めて感じ入りました。またそれと共に、今後AIの普及が今以上に進み、身体拡張なども進むようになると、これらの言葉はあとどのくらい意味をもち続けるのだろう、などなど、そんなとりとめのない思いから生まれた作品です。