1969年に久保田成子とジョージ・マチューナスによって編集発行された印刷物。当時、渡米した久保田成子やナムジュン・パイクらによってハイレッド・センターの活動を知らされたフルクサスのリーダー、ジョージ・マチューナスは彼らにフルクサス・スピリットを見いだし、驚喜しました。そして彼らの許諾無しに即フルクサス・メンバーとしてしまったというエピソードはフルクサスの中ではあまりにも有名です。そのハイレッド・センター活動を世界中に広く紹介したいと考えたマチューナスはこの印刷物を作り、赤瀬川原平の梱包作品のイベントと展覧会を計画しました。実際にはボールをこの印刷物で包み、ロープで梱包した作品を制作しました。そしてこの印刷物は世界中のフルクサス・メンバーに送られ、広報活動と共に人々へ販売するよう指示されました。ハイレッド・センターのイベント「シェルタープラン」は「フルックス・クリニック」というタイトルに変わり、ニューヨークで行われ、話題となりました。