皇帝(在位625~628)。
幼名は利丸、文和朝皇帝期の号は嘉應帝(在位 600~625)。北島の文和朝帝家の中では傍流の出身であり、通常であれば皇帝に即位することができない出自であったが、相次ぐ帝家内の権力闘争の結果、わずか22歳にして文和朝皇帝嘉應帝として即位する。皇帝としては、積極的に国政に関与する立場をとり、皇州王朝の統一を目指して強硬な対五山朝政策を唱え、対五山開戦で議会の支持を固めると正統戦争によって皇州本島を攻略して北島と本島に跨る統一王朝である統皇朝を誕生させた。統皇朝の成立後は、自ら祖皇の正統である「第二十六代皇帝」に即位して皇統の統一を宣言し、伝統的に議会政治が定着していた北島の政治体制から脱却して皇帝親政による絶対君主制を実現するために新たな統治秩序の構築をはじめたが、即位後わずか3年ほどで病に倒れ、志半ばで崩御した。