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1989年よりULAEとのコラボレーション制作を始めたキキ・スミス。彫刻家である父、トニー・スミスに幼少の頃から「バンシー(ケルトの精霊)」と呼ばれていた彼女。本作の蒙昧なイメージを制作している時、彼女の心には何が存在したのだろう。 ULAE(Universal Limited Art Editions※)制作。 ※ 1957年にタチアナ・グロスマンによってニューヨーク州ロングアイランド、ウェスト・アイスリップに設立された、アメリカ現代版画を代表する工房の一つ。
キキ・スミス
Kiki Smith
リトグラフ
1954年、ドイツ、ニューレンブルグ生まれ彫刻家の父トニー・スミスと女優で歌手のジェーン・スミスの間に生まれたキキ・スミスはニュー・ジャージーで育った。一時期パン屋になる修業をしたり、人形劇団の人形を作ったりといった仕事が後の作品制作にプラスとなった。22歳のときにニューヨークに移り以降活動の場所となる。1979年グレー著『人体解剖』(バスキアの愛読書でもあった)をもとに人体各部のドローイングを作る。人体に対する関心は深まり、85年にはブルックリン病院で緊急看護士の勉強をするほどだった。彼女の作品の主題が人体、それも理想美を追求するものではなく、生きている肉体の表現へ進んでいったのは当然だったかもしれない。素材は多様で、ブロンズ、ワックス、石膏、樹脂、布、紙など。1991年93年、ホイットニー・ビエンナーレ出品、93年ヴェニス・ビエンナーレに出品するなどジェンダー、身体性など時代のキー・ワードと合致する作品はますます評価が高まっている。